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【その他】自己紹介、経歴、転職について、また同じ世代や、今の時期に就職・転職に困っている人に向けて伝えたいこと

皆さん、お疲れ様です。

今回は、まだ詳しくお伝えしていなかった私の自己紹介、経歴の他、転職について述べたいと思います。

■自己紹介

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私は現在、福岡市内に住んでいて、三十代半ばです。

実家は熊本です。

現在は、会社勤めをしています。

趣味としては、筋トレや読書、ZBrushによる3Dスカルプトを行っています。

趣味の筋トレや、ZBrushによるスカルプトなどは、別の機会に記事を投稿したいと考えています。

経歴について

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私はテストに関する仕事に約15年、携わってきました。

・ゲーム、アミューズメント系のテスト

・ガラケー、スマートフォン系のテスト

Webサービス系のテスト

・金融系システムのテスト

一般的なリーマンじゃないかと思われる方もいるかもしれませんが、一般の方とは異なり、色々な経験を経て今に至っています。

3回。私は3回の専門学校、スクールに通っていました。1回目は両親にお金を出してもらい、2回目、3回目は、平日働きながら、土日の専門的なスクールに通ったりしていました。

3回、専門学校、スクールに通いましたが、それでも結局は正社員の仕事には就くことができませんでした。

この当時は、ただただ”辛かった”という思いでしかありません。

しかし、それでも私は”生きること”をあきらめず、今に至っています。

当時の記憶を振り返りながら、20代~30代前半をまとめています。

 

□新卒時の福岡での就活(就職氷河期/20

 

私が20代で就職活動を行っていた時期は、丁度就職氷河期かつ、リーマンショックが起こっていた時期でした。

その当時私は、テスト関連の仕事ではなく、3Dデザインの仕事に携わりたいと考えており、福岡市内の専門学校に通っていました。

福岡で就職活動を行いましたが、その当時は新卒での3Dデザインの募集はなく(現在も福岡はほぼない職種と思われます)、中途のみの募集となっていました。

それでも正社員の仕事をしたいと思い、デザイン系の会社を10社前後は受けたと思いますが、すべて落ちました。

専門学校卒業後、東京の親戚にハローワークに勤めている方がいらっしゃって、東京に上京することとなりました。

その時、両親や親戚の方には、とても返せない恩がありますが、東京行くというのも、私の意見など何もなく話が進んでいったことを覚えています。

 

□東京での就活(就職氷河期)/20歳~21

 

東京に上京後、2カ月間、親戚の家に居候というカタチで、ハローワークの他、ネットカフェで求人サイトに募集等を行い、就職活動を行っていました。

この2カ月間で、約60社近い会社に応募したと思います。

約60社に書類やネットでエントリーし、一次面接までいったのが10社程度、二次面接にいったのが2社と覚えています。

最後の方は、色々と辛すぎて、経歴云々にかかわらず、疲れ切った表情が出ていて、面接で落ちていたと思います。

この2カ月では、3Dデザイン系以外の職種も受けていましたが、3Dデザイン系以外は知識が無かったので、面接時、面接官からきついことも言われたことがあります。

今の時代であれば、かなりの圧迫面接、パワハラ的な内容だったのかもしれません。

2カ月の終盤に差し掛かった際、ココの会社がだめだったら、実家に帰ろうと思った矢先、その会社に勤めることができました。

その会社は、契約社員、アルバイト、派遣といった形態ではなく、”請負業務”といった、ほぼ個人事業主という形態でのゲーム、アミューズメント機器、携帯電話のデバッグ業務(テストプレイ、バグ摘出)といった業務でした。

この”請負業務”は、今振り返ってみると、かなりブラックな業務でしたが、当時の私は、他にすがるものもなく、この会社で仕事をしていくしかないとの思いで務めました。この会社には、最終的に約10年勤めました。

 

□東京での就活(リーマンショック/21歳~25

 

請負業務の会社では、コンビニのアルバイトよりも低い賃金だったと思います。

また、この業務では、デバッグ業務(テストプレイ、バグ摘出)といった特徴上、1つのタイトルの携わる期間が長くて1か月、良くて1週間、早ければ1日のみという目まぐるしく変わっていきました。1日のみの担当となると、午前中に仕様把握、午後に担当部分の業務実施と、当時の自分としては、かなりハードな内容でした。

さらに、請負業務との形態もあって、仕事が平日、休日といったようにあるわけではなく、2週間、3週間仕事が無いといったことがざらでした。

働いた分しか給料も出なかったため、その時もかなり辛かったことを覚えています。

この当時は、携わりたい3Dデザインへの仕事の固執・執着が強かったためか、仕事が終わって自宅に戻った後は、朝方の4時までデザインの勉強やデッサン練習を行ったことを覚えています。

仕事に慣れ始めてきたころ、土日に通える半年コースのスクールに学生ローンを組み、通いだしました。

2回目スクールでは、3Dデザインの深いところまで学習し、ポートフォリオと呼ばれる自身が作成したデザインを50枚前後フルカラーで仕上げて、再度就職に臨みました。当時、このポートフォリオは、1冊クリアファイルの40枚~50枚にフルカラーで印刷する際は、5000円前後費やしていました。

そのクリアファイルをデザイン会社に送ったとしても、書類選考に通らない場合は、返してくれる会社はごく僅かでした。

この時も約20社前後受けて、2次面接まで行ったのは数社で、結局はこの時も就職はできませんでした。

当時の私の力不足はありましたが、丁度リーマンショック時で、都内であっても、新卒や未経験を募集する企業が少なかったと記憶しています。

この時期、最後に面接に行った会社では、やはり結構なことを言われ、かなり悔しく、鮮明に覚えています。

2回目の就活も失敗に終わり、私は引き続き請負業務の仕事をつづけました。

 

□東京での就活(3回目)/29歳~30歳

 

3回目のスクールは、30歳になる前あたりに、通いました。

通ったタイミングが、2回目のスクールのローンが払い終わった時期でした。

この際も、平日は請負業務を行い、土日に学校に通っていました。

請負業務では、自社ではなく、出向といったカタチで、クライアント先に出向き、業務を行っていて、幸い結果を出したことによって

当初は1か月のみの契約でしたが、最終的には約6年お世話になったクライアントでした。

こちらのクライアントでは、良くしていただきましたが、なぜか毎度のようにプロジェクトが炎上していました。

優秀な開発者、PM、といった方はいっらっしゃいましたが、開発工程、テスト工程の見える化ができておらず、場当たり的な対処療法のみで、振り返りも行われず、そのため、1つのプロジェクトが炎上した後、そのほかのプロジェクトに活かせることが無く、炎上していました。

そのプロジェクトに携わっていて、土日出社も当たり前となっていき、3回目に通ったスクルールも、行かなくなってしましました。

ただ、このころテストの大事さや、業務改善といったことに興味を持ち、丁度テストの経験も10年と蓄積されていましたので、デザイン系ではなく、テスト関連の職種をターゲットとした就活を行いました。

10社ぐらいを受けて、そこでようやく内定をもらい、10年目にして正社員になることができました。

内定をもらった会社はここでは、「A社」と表記させていただきます。

A社」では、大幅な人員募集のタイミングがあったこともありますが、テスト経験を見込まれたと思います。

また個人的な見解として、以下のことが面接官に止まった、評価されたと思います。

①点目:テストの経験の履歴で、ジャンルごとに分けて経歴書を見やすいように改善した。

 ・経歴書は、市販されている履歴書とセットされた経歴書シートではなく、面接官が見やすいようにカスタマイズして経歴を記載

  例:2009/012010/10 / 携帯Webコンテンツのテスト業務/ テストリーダー(テスター5人)/テスト管理、テストケース作成、チケット管理対応など

②点目:SNSコンテンツを題材にしたテスト計画、テストケース、テストサマリーのポートフォリオを作成

 ・デザインを目指す人であれば、ポートフォリオは当然のものではあるが、それをテストの業種向けに利用

 これは、自分が得意としていたテストケースを視覚化し、面接官の印象に残るようにしていた

③点目:当たり前のことではあるが、テストに関する自分の長所、短所を明確に答えられるように用意

 ・長所はテスト実施の他、テストの管理者などマネジメントができることをアピール

4回目、5回目の就活/30歳~現在

テスト会社就職後、転職を2回行い、現在の福岡の会社に勤めています。

請負業務だった時と比べ、年収は250万前後増えました。

また、直近の5年でゲーム系、携帯電話系のテストの他、金融システム、Wenシステムといったテストの幅も広がりました。

これは、業務で結果を出すのはもちろん、日々何かを学ぶことで、年収アップにつながったと思います。

デザイン関連の仕事は諦めたというわけではありませんが、テストに興味を持ち、その業種の経験やスキルを伸ばしたことで、

年収アップにもつながったと思います。

(尚、デザイン系は、趣味で継続しているため、別の方面でビジネスにつなげることを目指していたりしています。)

■テスト業務で学んだこと

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15年のテスト業務を振り返って、学んだことをまとめてみました。

この15年、後悔ばかりでなく、自身の成長も成せていたことも明確にわかりました。

〇コンシューマゲーム、アミューズメントのゲームテスト

 ・Officeソフトの使い方

 ・インシデントレポートの作成

 ・バグトラックシステムの使い方

 ・機能テスト、ランダムテストケースの作成、実施

 ・テスト管理、テストマネジメント

〇ガラケー、スマートフォンのテスト

 ・アプリ仕様、ソフトウェア仕様、システム仕様

 ・Android SDK、エミュレータ構築、ログの取得、画面キャプチャ、動画キャプチャ方法

 ・ミラーリング操作、自動化テスト方法

〇金融系のテスト

 ・金融商品についての理解、金利の理解

 ・DBの知識

 ・オフショア開発、ブリッジSEとのコミュニケーション

 ・ユーザークライアントとのコミュニケーション

Webサービス、コンテンツのテスト

 ・HTMLの知識

 ・AWSの知識

 ・WebAPIの知識

 ・Webテスト自動化

■就職、転職で学んだこと

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就職、転職で学んだことは以下です。

20代の時は、やりたい仕事を目指しすぎて、固執してしまい、視野が狭かったこと

・就職氷河期、リーマンショック世代で新卒で就職できず辛かったが決して生きることを諦めないこと

・視野を広げれば、チャンスはつかめる

20代の時は、3Dのデザインに仕事につきたい、それが夢であると認識していて、固執してしまい、視野が狭くチャンスをつかめませんでした。

就職氷河期、リーマンショック世代で、就活時、何度も自殺を考えましたが、怖く、それを実行するまでの勇気はありませんでした。

当時、私が生きるのを諦めなかったのは、両親、家族、友達といったものではなく、好きなアーティストの楽曲でした。

両親は、専門学校まで面倒を見てくれてありがたかったですが、人生で一番辛かった就職に失敗したときは、励ましなどはなく、心配なので、実家に帰ってこい言うのみで、それは私にとって、辛い言葉でした。同じ専門学校に通っていた友達も、ほとんど就職できなかったと聞いているので、私と同じようにつらい状況であったため、また東京に上京後は連絡のやり取りはなくなりました。

私の場合、生きる勇気をくれたのは、好きなアーティストの楽曲でした。私の場合は、たった一つの楽曲でも、立ち直れることができました。

テストに視野を広げたことで、私はチャンスをつかむことができました。

■同じ就職氷河期世代、また今の時期に就職・転職に困っている人に向けて伝えたいこと

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私と同じ就職氷河期世代、リーマンショック世代、また今年就職、転職を目指している人に、僅かばかりではありますが一言添えさせてください。

決して、生きるのを諦めないでください。

諦めなければ、必ず活路は開かれます。

また、視野を広くすることで、チャンスは訪れると思います。

就職、転職に関する内容については、別途次の投稿で、補足をまじえて書こうと思います。

■最後に

今回は、自己紹介及び経歴について記載致しました。

経歴では、ダークな内容もありましたが、こちらは経歴をお伝えする上で必要と思い、書かせて頂きました。

同じ世代、さらには今のコロナ禍で苦労している方たちへ、少しでも希望や光があることを示せればと思い書いてみました。

長文となってしまい、申し訳ありませんが、最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。

 

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